正常性バイアスと日本人の危うさ/現実と真実の見極め

こんにちは、まれいです。

「オレオレ詐欺」という言葉ができたのはもうずいぶん前の事のように記憶しています。

でも、いまだにその被害に遭っている人が後を絶ちません。

それどころか、現在ではあの手この手で、悪い人が善良な人を騙して金品を巻き上げようとしていた報道を目にします。

報道されていない事件も日々起こっていることでしょう。

もちろん、騙す人が一番悪いのですが、私たちには警戒心も必要です。

テレビやYouTubeで、政治評論家が「日本人は平和ボケしている」と言っているのを見ることがあります。

確かに戦後75年以上、戦争がなく平和に過ごしてきた国民ですから 、平和な状態でいるのが当たり前。それも不思議ではないでしょう。

何か良くないことが起こるかもしれないという想定さえできなくなっています。

今回はあらゆる災難から自分を守る為のヒントについて考えてみましょう。

optimistic

1.正常性バイアス

人は、目の前に起こりつつある災難に対して

根拠のない楽観的思考をしてしまうことがあります。

自分は大丈夫だろう。そんなにひどい事にはならないだろう。

この人は信用できる人だ。と思い込んでしまうこと

これを正常性バイアスといいます。

災害から逃げ遅れたり、病気を重篤になるまで放置したり、車でスピードを出しすぎて事故を起こしたり、人を信用し過ぎて騙されたり。

これらの事は「危険なことは自分にも起きうる」そう考えることが出来ていたら未然に防げたことではないでしょうか。

しかし、困った事に正常性バイアスというのは人間の脳のメカニズムの一つだというのです。

もともと人間の脳は、なにか問題が起こると、その問題を解決しようと反応します。

しかし、雑多なことにいちいち反応していると、精神的にストレスがかかりすぎるので、脳が自動的に「これは大丈夫な範囲内だ」と認識してパニックにならないよう、心を落ち着かせてくれる、ありがたい脳の働きなのです。

ところが、過去に経験がなかった自然災害や、自分の許容範囲を超える重大な事故に遭遇しそうになった時、正常性バイアスが過剰に働いて

「自分に限っては大丈夫」と楽観視してしまうことがあるというのです。

災難は自然災害や事故だけではないと思います。

冒頭で話した「オレオレ詐欺」や、これに類する犯罪の被害者にもこの心理が働いたのではないでしょうか。

「オレオレ詐欺の存在は知っている。でもまさか、この人はそんな人ではない。自分に限ってそんな被害には遭わない」・・と、思い込んでしまう心理が人間誰にでもあるようです。

私たちが過剰な正常性バイアス状態に陥らない為には「人間は本来、正常性バイアスに傾く脳を持っている」というのを自覚し、自分を客観的に見て「これは思い込みや、根拠のない楽観視ではないのか?」

自問自答するしかないですね。

また、問題を一人で抱え込まずに、家族の人に相談して冷静な意見をもらうのもいいですね。

瞬間的な判断を要する場合は、用心し過ぎても、損はしないので、安全を確保するように心がけましょう。

peace

2.日本人の危うさ

「戦争が何年も起きていない」「生活圏に銃もない」

「夜道も明るいところを歩いていればまず大丈夫」

「道で携帯電話を操作していても盗る人なんていない」

そんな安全な日本で暮らす我々は警戒心が低く、海外に行けば狙われ易い存在だと思います。

落とし物をしても、後から戻ってくる国、日本。

その精神は我々の誇りとするところですが、相手が必ずしも同じだとは限りません。

警戒心を持って暮らすことは必要なことです。

「相手を信じていない自分が悲しい」

そんな寝ぼけた事をいっていると全財産もっていかれます。

海外で騙されないように暮らすのはもちろんですが、日本でも国際的な詐欺事件に見舞われることもあります。

外務省からの注意喚起をご覧下さい。

【要注意】国際機関職員を騙る振り込め詐欺について

人の良心につけこむ行為も赦せないですね。

ユニセフの注意喚起です。

「ユニセフと関係があるように装った別の団体・企業・個人による勧誘等にはご注意下さい」

まれい
まれい

私がマレーシアにいた時、語学学校の先生から、歩きスマホはひったくられるからしないように、バッグは道路側に持たないようにと注意されていました。

3.現実と真実の見極め

それ、100%信じて大丈夫?

よく「〇〇会社を名乗るなりすましメールにお気をつけ下さい」とかいうメールが届いて驚くことがあります。

「そっちこそ偽物じゃないの?」と思ったりして、いったいどちらを信じていいのかわからなくなる現代社会です。

また、心当たりのないメールを開いて、ウィルスに感染したとかいう話も聞きます。

悪気があって、人を陥れようという企みを見抜くのは難しい事です。何しろこちらは何も警戒していないのですから。

悪い企みも、個人とは限りません。企業であったり、社会的な組織であったり・・・

個人間ではよく「信じていたのに裏切られた」「あんな人とは思わなかった」とか嘆く場面に出くわしたりします。私たち自身もそういう経験をすることもあります。

それって、本当は、その相手はそういう裏の顔を持っていて、それまでは見えなかっただけで、それが露呈しただけではありませんか?

私たちの思い一つで、その人がいい人にも悪い人にもなります。

私たちは誰かを「いい人」と思えば、その人がいい人に思えてきます。

逆に「もしかして、私を騙してる?」と疑えば、たちまち怪しい人に思えてきます。

その人がいい人か悪い人かは、私たちの気持ちで表になったり裏になったりします。

真実は誰にもわかりません。目の前の現実も、自分の信じている通りではないかもしれません。

Trust

あなたのその「情報」は信じてもいいものですか?

また、信じている人の情報も、真実かどうか、わかりません。

「あの人は嘘を言わない」「あの人のいう事なら全部OK」そういうので大丈夫でしょうか?

もしかしたら、あの人も悪気はなくっても、何者からか「嘘の情報」を掴まされているかもしれません。

私たちは目の前の情報を自分にとって都合のいい方にねじ曲げていませんか?

物事を見るとき、自分の尺度だけで判断していませんか?

正常性バイアスがかかっているのではありませんか?

自分にとっていい情報だけを選んでいませんか?

固定観念や、偏見が真実を見抜く目を妨げているのではありませんか?

「目の前の情報」を素直に信じすぎていませんか?

一度、自分を吟味してみる必要があります。

世の中に起こっている事象は、現実です。

でも、現実が必ずしも真実であるとは限りません。

全体のほんの一部を見ているだけかもしれません。

何が真実かなんて誰も教えてくれません。

そもそも、誰も真実を知らないのかもしれません。

目の前で起きている事、その中から真実を見抜く目が必要です。

私たちの心は頑ななので、自分自身の間違いを認めるのが難しい時もあります。そうであってほしい、とか、そうでない方がいいと望む気持ちも働きます。

そういう気持ちが真実を見抜く目を曇らせてしまいます。

そういう経験、ありませんでしたか?

そういえば、あの時・・・

相手の「嘘」について「予感」があったのではないですか?

また、自分の発言について「自問」する自分がいませんでしたか?

そういう予感は後になると「確かに・・」と思い当たることがあります。

その時、忠告してくれた隣人がいたかもしれません。

正しい情報が転がっていたかもしれません。

これからは、そういう「予感」「人」「情報」を大切にしましょう。

与えられた情報だけでなく、いろんな情報を自分から取りにいきましょう。そして、多角的な視点から物事を見る目を持ちましょう。

物事をいろんな方向からみると、真実が見えてきたりします。

とても難しい事ですが、正しい事を見抜く目を持つことが、巧みな情報社会の中で生きる、あなた自身と、あなたの大切な人の生活を守ります。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。